きっかけとなったフロリダの旅

「土方巽」の名を冠したプロジェクトを始めたのは、フロリダへの旅がきっかけだった。

2013年5月にフロリダ州のオーランドという街に足を運んだ。小説家ジャック・ケルアックが住んでいた家を訪ねるためだ。

ケルアックは1950年代にアメリカで発生した「ビート・ジェネレーション」とよばれた集団のスターである。放浪生活や東洋思想、ドラッグ、ジャズなどを核にしたビートは、後にヒッピー文化へとつながっていった。

彼がケルアックハウスに住んでいたのは、1956年7月から翌年の4月までと極端に短い。わずか10ヶ月程度だ。しかも借家だったので、彼の痕跡はなにも残っていない。にも関わらず、アメリカ連邦政府から「国家歴史登録材」に指定されている。

ケルアックハウスの外観。何の変哲もない平屋で看板もない。(撮影:檀原照和)

この家が「発見」されたのは1997年だが、築75年の家はほとんど崩壊寸前の廃屋だった。そこで10万ドルもの寄付金を募り、全面改修を施している。つまり家屋の外観はケルアックが住んでいた時代そのままだが、壁も床も当時の部材そのままではない(当時と同じなのは、勝手口の敷石のみ)。家具もケルアックの使っていたものではなく、遺留品は彼が友人から借りパクしたタイプライターだけだ。

ケルアックハウスの特徴は、将来有望な作家に3ヶ月間レジデンス(執筆逗留)させる、という点にある。競争率は高い。アメリカ国内のみならず、南アフリカやウクライナなど、地球の反対側からも応募がある。

しかしこの家自体はごくごく平凡で、看板の類も一切ない。小さな張り紙が一枚あるきりだ。だから予め写真で建物を確認しておかなければ、気がつかずに通り過ぎてしまう。

街の人たちに訊いても、ほとんど誰もこの家のことは知らなかった(ケルアックはアンダーグラウンドな世界では有名人だが、一般的にはさほど知られているわけではない)。プロジェクトの運営委員に訊いたところ、「ケルアックの生地や没地と連絡は取ってはいるものの、活発に交流しているわけではない。それよりも前途有望な作家たちを地元文学コミュニティーのゲストとして迎え入れ、気持よく過ごしてもらうことを心がけている」という。

実際、この家の運営は4人の役員、5名の理事、3人の賛助員で行われているが、熱心なケルアックファンはいない。

レジデンス参加者の多くもケルアックのような無軌道な暮らしを追体験したいと思って応募してくる訳ではなく、純粋にケルアックの家からインスピレーションをもらいたいと考えているそうだ。彼らの作品もビートとは似ても似つかないものばかりだ。

毎月1人か2人程度ではあるが、現在もケルアックのファンがこの家へ「聖地巡礼」に訪れるそうだが、思っていたイメージと違うため戸惑っているようだという。

ケルアックに敬意を払いながらもビートとは適度な距離を置き、クールなスタンスで動いているこのプロジェクトは、ひじょうに興味深かった。ケルアックを安易に観光の目玉にしていないこともすばらしいと感じた。

翻って黄金町に目を向けると、土方巽が住んでいた赤門荘も賃貸物件で、暮らしていた期間も1年程度だった。ケルアック同様、土方巽もアンダーグラウンドな業界では世界的有名人だが、地元住民は誰一人として彼のことを知らない。そしてどちらの町も、彼らが暮らしていた当時は文化的な刺激がまったくない土地だった。彼らの暮らした家がどこにあるのか、誰も知らなかったところまでいっしょだ。ケルアックハウスと赤門荘には少なからぬ共通点があった。

有名作家がわずか10ヶ月しか住んでいない家が文化プロジェクトの舞台になるのであれば、黄金町の赤門荘界隈にだってなにかやる資格はあるだろう。

そこでケルアックハウスのように、舞踏とか土方巽に拘泥するのではなく、もっとつかず離れずのクールなスタンスで面白いことができないだろうか、と思った。それが「土方巽 1960 しずかな家」のはじまりだった。

横浜には舞踏のもう一人の巨星の名を冠した「大野一雄フェスティバル」もひらかれている。出演者は、生前の大野一雄と直接交流を持っていた人たちばかりではない。むしろ無関係だった人たちの方が圧倒的に多い。ダンスのスタイルもかなり異なる。

しかしそれで良いと思う。大野一雄や土方巽に敬意を払い、その存在が語りつがれるような仕組みになっていることが重要ではないだろうか。

このプロジェクトの根幹は「都市の記憶」と「身体」だ。どちらも捉え所がない。

書かれた言葉は全て過去の痕跡。

話し言葉や身振りは常に現在進行形。

身体を媒介にして消えた歴史を浴びていく。

出演者は舞踏家やダンサーに限定していないし、することもない。

(文責・「土方巽 1960 しずかな家」実行委員会 檀原照和)

フロリダ時代のケルアックの暮らしぶり、
ハウスの発見とその後を描いたルポ。

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